仕事

仕事をしていたら

生きている間中、自分の有能さを示し続けなければならないとしたら生きていることが厭になるなあ・・・

かつての職場で、そんな人がいたな・・・と思い出した。

その方が意識していたとは思わないけれど。

不思議なもので年月を経た今、池田に教えてくれている。

仕事を一生懸命するということはよいことだと思う。

仕事という場は、自分の能力を発揮できるよい場所だとは思う。そしてその結果として対価を得る場だ。

しかし、能力を発揮し続けるのはしんどい。

上げてしまったハードルはなかなか落とせない。

いろんな要因で、働き過ぎている日本人が多いんじゃないかと思う。

プライベートに余力が無くなるほど、有能さを見せつけているとしたらやっぱり禁止令が入っているんだろう。

人生は自分のためにある。

思い出してみよう。

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生きるって大変よね・・・

洗濯をしようとしたら、柔軟剤が切れていたので詰め替え用をボトルに入れた。

掃除をしようとしたら、重層水が切れていたので詰め替え用をボトルに入れた。

手を洗おうとしたら、ハンドソープが切れいていたので詰め替えた。

思わず、「生きるって大変ね」とひとりごとを言っていた。

それを耳から聞いたからか、

「あら・・・」と思わず笑ってしまった。

何で人間は、こんなに生きるのが大変なのに生きていたいのかしら・・・

生きていることがいいことだって、いつどこで誰に・・・?

誰に聞いたのかな・・・

どうして死を怖れたり、人の死を惜しむんだろう?

ははは・・・人間はかわいいな。

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マイナーチェンジ

チューニング・脱皮と来て少し違和感を感じていたらマイナーチェンジという言葉が浮かんだ。

なるほど。

マイナーチェンジなんだな。

池田は変わらないけれど、少々変化したらしい。

記憶は保持されている。

でも、自分自身は変わったことを知っている。

不思議な感覚。

例えるなら、自由・解放・解禁・・・

革命のスローガンみたいだ。

やはり何かに縛られていたのだろう。

ひらめきも変わってきたような・・・

どんなイメージが飛び出してくるのか?

新しい自分と出会うのが楽しみ。

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脱皮

チューニングしている理由は何なんだろう?

そう考えてみたら、どうも脱皮という言葉が現れた。

どうも何か変わったようだ。

でも、脱いだ皮は見当たらない。

爬虫類とも無関係だと思う・・・

何だか食性も変わったようだ。

視点も・・・

ずいぶん長く生きてきたご褒美なんだろうか・・・?

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チューニング

近頃、思考が意表をついている。

思考を押さえない、自由を許しているからなのかもしれない。

いろんなイメージが移りゆくことに驚く。

まるで、画像やラジオのチューニングのようだ。

生きているとこんなこともあるんだろうか・・・

昔の記憶、どこかで見た一場面、高い位置から見た自分・・・

サブリミナルのような感じと言ったらわかりやすいかもしれない。

いや、たぶんわからないか・・・

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嫉妬

恋につきものの嫉妬。

楽しい恋に何でこんなもの付いてくるんだろう。

ずっと前に「嫉妬のメカニズム」を書いたように記憶している。

今日は難しいこと抜きで(?)考えてみよう。

恋をすると恋した相手に尋常ならざる感情を抱く。

これは全くプライベートな感情です。

相手が振り向いてくれなくたって、恋はできるし嫉妬もできる。

それって自分の中だけの出来事。

尋常ならざる感情を抱いている相手は自分の中で創りあげた相手の虚像です。

いくらでも素敵にカスタマイズされています。

そう思うと嫉妬はかなり複雑な出来事です。

本当に不思議な気持ちですね。

意中の人がふとする行動に何でこんなに胸が締め付けられるんだろう?

相手には悪意が無い、意識もしていないふとした言動になぜ心が揺れるんだろう?

好きな人に嫉妬されることがいやではない場合もあるけれど、それって相手を苦しめて自分が「愛されていること」を確認したい自分勝手な欲求なんじゃないかな。

相手を苦しめて自分が快感を得るのは、たぶん愛ではなく他者利用の自己満足ではないかと池田は思うんだけど。

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冷え

寒い。

気づくと手足が氷のように冷たい。

たぶん加齢現象なんだろう。今年は手足が冷たい。

手の温かい人は心が冷たいって言うけど本当だろうか?

赤ん坊の手はあったかいことが多いように思う。たぶん手の温かさと心の冷たさは比例関係にはないんだろうな。

では、何でこんな言い伝えがあるんだろう?

人の心はわからない。

人の心を知りたい人が、人の心を知るよすがとして思いついたことなんだろうか・・・?

人に裏切られたときに

「あの人は手が温かったから仕方ない」

なんて用法をするんだろうか・・・

割り切れない。

納得できない。

承服できない。

そんな気持ちの表れか・・・

割り切れない。

納得できない。

承服できない。

これらは禁止令ではないのか?

割り切れなければいけない。

納得できなければいけない。

承服すべきだ。

宙ぶらりんで生きることは辛い。

カウンセラーは宙ぶらりんに耐える力を鍛える必要がある。

現在の情報だけで考える。先走りをしない。妄想しない。

足先が温まってくると眠気がやってくる。

なるほど・・・手足が冷たい時は働いているんだ。

赤ちゃんはよく眠るから手が温かいのか?

では手の温かい人は心が冷たいのではなく眠いのか?

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久しぶりの雨

お天気はいい方がいい。

でも、乾燥や日照り、水不足はイヤ。

人間は身勝手だな。

久しぶりに雨が降った。

こんな日も悪くはない。

珍しく昨日は眠れない夜を過ごした。

クライアントから眠れないという訴えはよく聞く。

眠れないことは即、日々の生活に関わってくる。

仕事を持っていたら復活するのは苦しいことだ。

まあ、眠れないと思っていても実際は眠っていることも多いようだ。

ただ、自覚できていないと「寝た気がしない」と不満な気持ちになるんだろう。

昨晩は寝入ってから1時間余りで目が覚めてしまった。

その後眠れない。

後から思うと寒かったみたいだ。

湯たんぽを2つも入れているのに妙な話だが。

深夜のTVを見た。1番組終わっても眠れそうもない。

諦めて起き出して、パソコンを開けた。

仕事が溜まっているのだけれど真夜中は昼間のごとくには働けない。

しばらくパソコンに向かいベッドに戻る。

いつの間にか眠っていた。

もう少しゆっくり寝ていてもよかったのだけれどメールの音で目覚めてそのまま仕事を始めた。

これが毎日だとちょっと困るな。

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本音をきく

自分がどうしたいのか何を怒っているのか怖がっているのか・・・自分の声としてもう一度自分に聞こえてくる。

相手はその声を歪めずに返してくれる人がいい。

これがカウンセラーの素質です。

解釈したり、アドバイスしたりというのはおまけみたいなもの。

あまりしないほうがよいことが多いです。

ただ、「自分の気持ちを見よう」という気持ちが無い場合、誰かに抱えた怒りをため込んでいる場合は自分の声は自分をエスカレートさせる燃料になってしまうかもしれません。

そんな時は少し方向修正をさせていただくことも。

言いたいだけ吐きだしていただくのもよしですが。あんまり続くと根競べになります。

怒りというのはパワーがあって、他者非難とか愚痴は時に留まるところを知りません。

池田も初学の頃は難行苦行のようにひたすら耳を傾けていたものです。

本音を話せる近しい間柄と言えば、仲良しのようですが・・・近しく共に生きる人には節度をもって付き合うことが肝要だと思います。

現代の風潮は「腹を割って・本音で・わかり合って」を求め過ぎなのではないかしら。

もともと「人は独り」

この世での一ときをご一緒する仲間だと思えば、遠慮も節度も敬愛も生まれてくるんじゃあないかな。

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優しい人

人と人とのつながりが薄くなってきたというのは、時代のスパイラルなのだろうか?

東日本大震災の災禍から立ち上がるために「絆」という言葉が日本中を巡った。

濃淡は地域によってまだらだろう・・・

薄いつながりになれた人を濃いめにするには時間がかかりそうだ。

薄いつながりには「優しい人」が多いような気がする。

人間が優しくなったわけではない。

優しい面だけでもつきあえるようになったということなんだろう。

「優しくありたい」人が多いのに驚きもする。

優しさには正反対の「厳しさ」が含まれる。

また、その逆もしかり。

厳しさを受け容れ人に伝えるのは、結構骨が折れる。

池田の経験では、自分の生き方に関わる。

「話をきいて欲しい人」の話を伺うと、

「あの人はこういうわけで悪い人。私は違う。あの人は思いやりのない冷たい人。私は優しい。」

そんな風に聞こえてくる。

自分で自分を「優しい」と認められれば、他人に同意を求める必要はない。

「話をきいてほしい人」は

優しくはありたいんだけれど、優しさに包含される厳しさの意味に気づかず、優しくできない自分を知っていながらそれを見ずに済ませようと他人の落ち度を探しているようにも思える。

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潔い

潔い生き方に惹かれる。

何をもって潔しとするかは、またまた百人十色というところなのだけど。

「お返しや見返りを求める」

「富や権力にポリシーを曲げる」

「過去や、今ここにない未来を患う」

「人によって態度を変える」

「人が見ていないと怠ける」

・・・・あんまり潔くない。

池田が憧れる「潔い人」は自分の心を素直に言葉や行動にできる人。

なかなかできないんですが・・・・

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気持ちのバランスシート

人と人とのコミュニケーションの中で、バランスが取れないなと感じることがあると思います。

自分の方が少し上(?)にいる時はあんまり意識はしないと思いますが、自分が下に見られたような時は気持ちがチクチクしてしまう・・・それが続いているかもしれません。

長引くと心の病になってしまうかも・・・

人はチクチクした気持ちの時には、それを保持していることが苦しくて行動化してしまうことが多いようです。

バランスシートはお金の収支を表すものだけれど、池田は心のバランスも同じように表現することがあります。

まあ、わかりやすくお話ししようと工夫するといろんな話に飛び火します。

つまり、貸しがあるか借りがあるか・・・?

借りがあると何だか落ち着かなくて、何かしてあげたくなってしまう・・・

それはもしかしたらよけいなお世話なのかもしれません。

貸しがあると返してもらいたくなります。

知らず知らず、尊大になったり傲慢になったり・・・・

身近な人と良好な関係を築くためにはバランスシートを導入しないこと。

そのためのスキルはアイディアは池田にお尋ねください。

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腹を割って話したい

親しい人、大切な人とは腹を割って話したい。

けど、なぜか腹を割って話せない。

たとえば

「そこ違うんじゃないかな」

と思っても、

「嫌われたくない」

などの気持ちが沸いてきて言えなかったり・・・・

あれあれ・・・自分が腹を割れない手本を示している。

そんな人に限って

「もっと腹を割って欲しい」

自分にできないことを相手に求めるのって甘えじゃないかな。

本当の自分を見せるのは難しいことらしい。

いったい自分って何だろう?

自分にも自分を隠している・・・それではコミュニケーションはできないしする必要ない。

生きるとは自分に出会うこと。

池田はそう思う。

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修復できますか?

という質問をされる方、結構多いです。

「わかりません」

とお答えすることが多いと思います。

そして、

「修復したいのですか?」

とお尋ねします。

その方が「修復したい」と思わないと修復はできません。

池田に相談に見える方は

「修復したいけれど、できないだろう」

と考えている方が多いようです。

それでは修復はできません。

どうして修復できないと思うのか・・・

それは今までうまくいかなかったからです。

やり方を変えないと。

つまりやり方を変えれば修復・・・コミュニケーションは可能になるかも。

「いままでのやり方を変える」

それが難しい。

「いくら頑張ってもダメなんです。もうダメです。これ以上無理。」

本当にそうでしょうか?

客観的に見ていると今までと何にも変わっていません。

一生懸命エネルギーを消費しても「修復」という目的達成のために使われていません。

それでは効果が現れるわけはないですね。

「修復できるか?」どうかはうまくいかなかった過去のコミュニケーションを手放して新たな関係を築くことしかないと池田は思います。

修復したい方はぜひご相談ください。

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時の流れ

年が明けて早10日。

成人の日も過ぎて、十日戎・・・

この勢いで今年も矢のごとく過ぎていくのでしょうか・・・

時が流れるということを考え始めるとややこしい。

池田は今日を生きているせいなのか、単に記憶力が悪いのか忘却力がよいのか過ぎたことへの記憶があまりない。

先日知人に「子どもの頃のことはあまり覚えていない」と話をしたら

「それは幸せだったからよ」と返事がきた。

「そんな考え方もあるのか」と感じた。

特に抑圧したとも思わないし、わざわざ合理化した痕跡もない。

特にハッピーな思い出もなく・・・

自分なりに安定した時代だったのだろうか。

たぶん、自分なりに主体性を持っていたのでこだわることが無かったのかもしれない。

大人が放っておいてくれたせいか一人でいるのも苦にならないというか、一人でいるのは心地よいことだった。

振り返ると、今の日本の子どもたちは一人でいる時間があるのだろうか?

TVやネットで中途半端に誰かとつながっている。

自分に出会う時間が無い。

苦しいことがあるとすぐに人を頼る。

自分という頼れる味方があるのを知らないかのように。

時がどこから来て流れるのか知らない。時は留まっているのかもしれない。

時の力を感じると頼りなくも気楽になる。

今年も一日一日を大切にいきましょう。

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可能性を狭めない

コミュニケーションは難しいです。

原因の一つに、自分の「伝えたいこと」がはっきりしていないということがあります。

その解決方法は自分を見つめることしかないようです。

また、「伝えたいこと」を伝える機会がうまくつかめない場合もあります。

「伝えるべきでないことを伝えてしまう」雑音ばかり話してしまうと相手の方には「伝えたいこと」がわかりにくくなってしまいます。雑音に紛れて「伝えたいこと」が見当たらなくなってしまう。

自分で可能性を狭めていると言えるかもしれません。

私たちは無意識のうちに可能性を狭めていることがあります。

それに気づいて少し気を使ってみると円滑なコミュニケーションができるようになるかもしれません。

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戦いたい?

小学生の頃、「平家物語」が好きだった。

干し飯や勝ち栗を口にして戦場に赴き、大音声を張り上げて名乗りを上げて一騎討ちの戦いを挑む。

倒した敵のみしるしを揚げて凱旋し、城で湯漬をかっこむ。

そんな武将をカッコイイと思っていた。

志半ばでむなしくも散っていく姿は、正々堂々としているゆえに美しく哀しい。

義経や木曽義仲が気に入っていた。

でも、池田は「歴女」ではない。

地理も歴史もとんと疎い。

時代劇が好きな子どもだった。

当時の時代の影響なのだろう・・・

義理人情、任侠気質というものがよしとされ単純明快な筋書きがよかった。

「勧善懲悪」というジャンルだ。

近頃は視聴者の好みが変わったのか、目新しさが求められるのか筋書きも複雑でてんこ盛りになっている時代劇が多いようだ。

文字通り人を蹴落とし、切り殺し生きながらえようとする登場人物に思わず、

「なんでそんなに戦いたいの?」

と聞きたくなる。人殺しの目的は富か領土か名誉か意地か・・・

戦ってきた歴史、戦ったことのない民族。

とても大切な変わり目なのかもしれない。

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愛おしい秋

新春を迎えたばかりで「もう秋?」

新しい年を迎えて少し長い目で将来をみてみると「今年は生き延びられるのかな・・・?」という問いに気づく。

「また秋を迎えられるのか?」と哀しいような愛おしいような気持ちになる。

子どもの頃は春や夏が好きだった。

年をとってからは秋が好きなんだと気づいた。

源氏物語にも「秋好む中宮」とやらいたような・・・

秋には郷愁を感じる。

収穫と豊穣と絢爛たる自然の色づきは淋しいというよりは楽しい。

振り返ってみると温暖化が進んだ昨今、秋らしい秋を感じることが無いようだ。

愛おしい秋に出会えるように、今年も一歩ずつ歩いていきたい。

愛おしい秋は池田の心の「原風景」なのかもしれない。

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正月気分

今年は暦の関係で年末年始の休みが短かったようだ。

4日から仕事始めの方も多かった。

そのせいなのか正月気分が淡いような気がする。

池田は珍しく平穏な正月を迎え、ついぞないのんびり気分でいた。

が、生来の貧乏性なんだろう。ゆっくり楽しむことはあんまりできなかった。

元旦からでも仕事があって当たり前なので。

依頼がなくても原稿書いたり・・・することはあるはずなのだ。

しかし、今年は依頼がなかったのをいいことにのんびりと過ごしてみた。つまり怠けていた。

でも、街が動き出すとやはり放っておいてはもらえないので仕事が始まる。

なんだかのんびりした分、異邦人の気分だ。

いわゆる「休みボケ」

ああ、このまま登校拒否や出社拒否になる人のメカニズムがわかるような気がする。

歯車が合わないと非日常に留まることになる。

それが可能ならそれもよし。

昨日は池田にとって初出勤。

今年初めて見た街はすっかり平常に戻り正月気分は消えていた。

そもそも、今年は「あけましておめでとう」がそぐわない。

国家として喪に服してもよさそうな年だ。

そんなみんなの気持ちが反映されているのだろうか・・・

東日本大震災の復旧復興をめざす大切な年であることは間違いない。

個々人の生活の中でも立て直しの年にしていくのにふさわしい年なんだろう。

池田も微力ながら頑張らせていただきます。

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わかってください

大切な人にわかってもらえない辛さ。

とても辛いことです。

でも、翻ってみると自分は大切な人をわかろうとしているのだろうか?

もし、理解していないとしたら大切な人も辛い思いをしているのではないだろうか?

大切な二人が、それぞれの辛さを抱えて背を向け続ける・・・

二人の望みは同じなのに。それぞれ別々に悲しんでいる。

どうしたらいいのかな?

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今年もよろしくお願いします

皆さまどんな年越しをされましたか?

池田は大晦日深夜に友人宅を後にして、「どうやって帰ろうか・・・?」と途方に暮れて・・・30分後には家にたどり着いて年越しをしました。

今から思うともうずいぶん昔のことのようです。

仕事がなかったのと、年末から体調が悪かったのもあって三が日はのんびりしました。

スポーツはあんまり得意ではないのですが、箱根駅伝を両日みていました。

若い男の子が、一生懸命走る姿は清々しい。

思えば、街中でそんな姿を目にすることはついぞない。

携帯を覗き込んで下を向いている人が多いせいなのか・・・

電車の中でも若い男子は席を譲るでもなく疲れきって座っている。

スポーツなら苦しいことも耐えられるのか・・?

スポーツとはルールに基づいて行われる。

制限があるから、いろんなドラマが生まれる。

制限があるから、全力を尽くそうとする。

その熱は本人に留まらず、人の心に伝わる。

恋愛中に清々しかった彼も、結婚して夫となると出がらしの、干からびたダシガラのようになって帰宅する。

外でどんなに全力疾走してるんだろう?

家はとことん安らぐところ。

だらしない姿、横柄な態度、何もしない姿・・・

夫がそんな時代はもう終わった。

確かに時は流れ、文化は変わった。

若い男子はもう、横柄な態度なんてとりたくないんだと思うよ。

ただ、女性はちょっと怖いんだ・・・・

駅伝を見て思うことは人それぞれ。

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新年の準備

今年もあと残すところ1日と数時間。

特に何もしていない・・・

ゆっくりのんびりと年越しを迎えられることはとても幸せなことです。

今年は東日本大震災があったせいか、家族の絆が見直されているようです。

年末年始は家族で過ごす・・・

その反対側には、独りきりのクリスマスや年越しをする人も。

新年の改まりは自分自身でけじめをつければいいんじゃないかな。

ひとりで過ごすのもまた楽しいかもしれない。

明日は来ない。

新年に限らず、家族の集まるときを大切したいものです。

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人に優しく、自分に厳しく

メディアではその時その時話題の人物が取り上げられて、時代のムードを創っている。

安易に垂れ流しているのか、ある意図を持って流されているのか・・・?

ま、池田にはわからないけれど日々流され続けている・・・

経済的な成功を収めた人、スポーツで前人未到の結果を出した人、大衆に人気が出た人、流行る歌を歌った人、何かを突きつめて研究した人、宗教家・・・

そんな人たちを紹介する番組を見ていると勉強になることもたくさんあるんだけど、目が点になることもかなりある。

最後の一言で全てがひっくり返ってしまう。まるでオセロのよう。

文脈が違えば意味も違うので、編集の意図が入っているのかもしれないが。

タイトルの言葉も、そんな一言。

えーっ そうですか?

なんで自分に厳しく人に優しくなんだろう?

たぶん、私たちはそれをよしとする教育を受けているのだろう。

でも、その教えは人を追い詰める。

池田は「人に優しく、自分にも優しく」と生きることにしている。

この「優しい」のニュアンスは「いい加減、好い加減」ていう感じ。

もちろん時には自分にも人にもちょっと厳しくしてしまうこともあるけど、それは好い加減から出ているはずだし、その償いをする準備はある。

残り少ない今年も、新しい年も、「人に優しく、自分にも地球にも優しくいきましょう」

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仙人チック

仙人のイメージは、やや黄ばんだ白く長い豊かなモシャ髪と同じように白く長いアゴヒゲ・・・裾が破れたあまり美しくない白くゆったりしたAラインのワンピース・・・上の方が丸くなっている長い杖・・・たぶん裸足。

雲がたなびく山奥に棲み、世俗とは隔絶した暮らしをしている。鳥や動物たちと交流がある。瞑想のようなことをして時間をやり過ごし、労働はしない。

たぶん多少常人の出来ないことができる。

というところか・・・

性別は♂ということになる。

仙人チックという言葉からは、余分な肉は一かけらもない適度な筋肉の中性的な体を持ち、髪は黒く耳下までの乱れたワンレグ。色は黒光りして肌の露出度が多い。

体を鍛えることに時間を費やす。性別は問わない。

以前見た映画に登場した人物を彷彿とする。

「ダヴィンチ・コード」だったかな・・・

ある宗教の信者で、自虐的な修行を教義に持つ人物。

自らの体躯を鞭で打つことを日課にしていた。

仙人チック・・・だな・・・・

気の毒な気もする。

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脱・断捨離2

以前、親戚の夫人の引っ越しの手伝いをした。もう何年も前のことだ。

不要品を何点かもらって帰った。

それから月日は流れた。

その夫人が認知症を患ったと聞いた。

最近、周囲の人に「ものを盗られた」と訴えるという。

過去の出来事も同様に話すという。夫人の認知の中では池田がもらって帰った(その時の夫人にとっての)不要品は実は必要なもので、「盗られた」ということになっているのかもしれない。

人間は執着する。

どこかの一時点で「決断」しても、迷いが生じると再び執着する。

「捨てる・あげる」という自分の手元から物が離れていくことを許可する、その判断がどれだけ難しいか・・・

選ぶ・決断する・・・それは物だけではなく、人との付き合いにも通じる。

自分が何を欲してどう生きるのか理解していないと「断捨離」はかえって傷を深めることになる可能性が高い。本を読んだ時に池田はそう感じていた。

もちろんごく一部の「自分を理解している仙人チックな人たち」にとっては意義のあることだと思うけれど常人にはそれほど簡単なことではない。

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脱・断捨離

断捨離しない! 捨てない片づけ3つの極意
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1858852&media_id=77

少し前に「断捨離」を読みました。
遺品を目の前に生活している池田にとっては、近い将来取り組むべき課題だと感じている。でも、生来の怠け者なのと、亡くした人との距離が離れる3年という節目を待って放っていた。

「断捨離」を読んで感じたことは「危ない」
この事について、書きたいことはたくさんあったのだが、少しパワーが足りなくて後回しにしていた。

たまたま、この記事を目にしたので書いておこうと思う。

消費社会でものを買わないと国や世界経済が回らない現代では、日本の家庭は本人の貧富実感は別として皆がかなりの物持ちだ。

自分だけは身軽でいたいと思っても、世の中が許してはくれない。

毎日のように郵便受けに放りこまれるチラシやダイレクトメール、上質の紙に極彩色で絵や写真が描かれている。自分にとっては要らないものでも「ゴミ」ではない。けれど「ゴミ」として処分されるのがこの国の習慣。

送ってっこなければいいのに・・・
しかし、経済を回すためには必要なシステムなんだ。

でも、広告につられて買うようなものは本来必要のないものである。無くても十分生きていける。

そんな広告の創り手の才能に感心はする。

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速く走る

やろうと思ってもできていないこと。

それって結局できないんじゃないの?

年末の大掃除、正月の準備・・・

まだできていない。

たぶんできないと思う。

裏返せば、それらのことはしなくていいことなんだろう。

しなくても何とかなる。

人というのは差はあるけれど、物事の処理能力はだいたい一定の幅に収まる。

だからこそ、速く走れる人や泳げる人に大騒ぎをする。

けれど、同時にできることは限られている以上走ってばかりいる人は他のことはできていないことが多い。

一生懸命速く走っている人には失礼だけど、人生において速く走ることが重大な課題であるヒトはそれほど多くない。

走り続ける人生は、自分が納得していなければ時間の無駄遣いかもしれない。

たまには歩いたっていいし、寝ても座ってもいい。

現代の日本は自分が望めば止まることも可能だ。

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華やぐ街

これからのシーズンは心に重荷を感じている人には辛い時期です。

にぎわう街。

クリスマスの歌やプレゼント、パーティ・・・忘年会に年越し・・・新年の挨拶、お年玉・・・

仲間や身内と楽しく過ごす人たちにはこの上なく楽しいシーズンでしょうね。

でも、独りきりのクリスマス・・・大晦日、元旦・・・

もちろん一人でも愉しむ方もいると思います。

淋しい方は池田にご連絡ください。大晦日は既に埋まっていますが、元旦は空いています。

池田は年中無休です。

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二つの眼

ヒトには眼が二つある。

多くの動物にも眼が二つある。

地上で生きていくためには二つ眼があることが有利なんだろう。

二つの眼の役割で良く知られているのは空間把握だ。

視点の違いが、奥行きや立体感の認知に役立つ。

ヒトが世界を認知する仕組みとしては割と単純だ。

この視点や視野で、人は人生を歩んでいく。

あまり疑うこともなく。

どうして疑わずにいられるんだろう?

不思議だ・・・

ヒトの思考の不思議・・・思いこみ。

最近、池田の眼は右と左で見ている違うということに気づいた。

右目の個性、左目の個性、両眼で見る世界の融合・・・

他者との違いは当たり前、逆に他者との融合も不可能ではないのかもしれない。

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池田の眼

池田の眼は左右で見え方が違う。

同じという人の方が少ないのかもしれない。

長年、自分の目にお世話になっていながら今まで気づかなかったが色の見え方がかなり違うことに気づいた。

やはり、人間自分のことはよく知らないのだな・・・と再確認した。

もちろん他人のことはもっと知らないし知ることは困難だ。

なのに、わかった気になって判断したり、非難したり、評価したり、妬んだり・・・・

なんだか馬鹿馬鹿しくなる。

いちばん理解できる可能性の大きい自分を知ることが人生なんだなと改めて思う。

それでも人生は短すぎる。

それでも左右の見え方がずいぶん違うので疾患を疑って専門医を受診した。

数々の検査をしてもらった結果、疾患はないと診断された。

もう少し、働きなさいということなんだろな。

まだまだもう少し、自分を見ていこうと思う。

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